慈 愛 の 種 を 播 き ま し ょ う
第814回例会
平成14年12月2日
No.18 青森中央ロータリークラブ会報

点鐘/国歌/ロータリーソング(奉仕の理想)

誕生日祝
大高  英雄さん(昭和26年12月23日生)

会務報告:松本会長
・理事会報告
 1.12月の予定
   12月9日(月) 年次総会 例会兼家族忘年会
   12月30日(月) 休   会
 2.来訪交換学生シアラ・キャスバロさんを12月7日より3ヶ月間、松本会長宅で
   お世話致します。

幹事報告:高橋幹事
・本日、下期会費納入通知書(12万円)を発送します。納入期日来年1月末日、
 よろしくお願いします。k
・次週12月9日(月)は、18時30分より八甲田ホテルにて年次総会・例会兼家族忘年会と
 なります。集合は17時30分、ホテル青森(お寺側の入口)です。時間厳守、お忘れなく。

メークアップ
11月29日(青森東RC)渡辺孝太郎

ニコニコBOX
・伊藤さん、本日の卓話ご苦労様です。
 岡崎、渡辺(正)、服部、岩崎、松本、名古屋、高橋(憲)、渡辺(孝)、夏原、鳴海、原
・大高さん誕生日おめでとうございます。
 岡崎、渡辺(正)、服部、岩崎、松本、名古屋、高橋(憲)、渡辺(孝)、夏原、鳴海、原
・つたない卓話ですが、よろしくお願いいたします。 伊藤

卓  話  「私の国際交流」  伊藤 慎一



 記憶にある中で、私が初めて身近に外国人に接したのは、中学2年の時でした。1年生の歯医者さんの娘が、多分アメリカ人の女の子をふたり学校に連れて来ました。その教室に行って授業で習った通りの英語(何と言ったかは忘れてしまいましたが)で話しかけたら通じまして、返事が返って来ました。
 それは何とも不思議な感じでした。教えられたそのままの方法を試してみたらそれ相応の反応があった、という機械的な感触でした。自動車学校で初めて車を運転したときの感じに似ていました。
 中学生の時から割と英語が好きでしたから、その後もチャンスがあれば外国人と話したいと思っていました。高校時代にも友人の家に小学校に入ったかどうかぐらいの白人の子供がいたときも、いっしょに遊んだこともありました。高校生がそんな小さい子供と遊ぶというのは、普通あまりないと思うんですが、相手が英語を話すとなると、使ってみたくなる訳です。
 同じ高校生のときに、学校にアメリカのヒューストンからDanaDaleという女の子が一年間留学生としてきました。ロータリーではなくASFとかいう制度で来たのだと思います。金髪でした。みんな珍しがって休み時間に良く廊下でのぞいていました。私も早速話したかったのですが、頃合いを見ることにしました。
 しばらくしてほとぼりがさめたころに、家の風呂に入りながら、自分としては練りに練った英語で話しかけました。「あした何か予定はありますか。僕の家に来てビートルズを聴きませんか?」というのを英語で誘って家に来てもらいました。
 大学に入って英会話のサークルに入りました。その中で国際交流もあり、スイスから来たユーディットローリンという学生と知りあいました、女性です。この人は確かシベリア鉄道を使って日本に来たと記憶しています。非常に行動的で、何かのときにお愛想のつもりで、「夏休みに青森に来ればいい。Nebuta festivalを見せてあげる」と言ったら本当に来たのでびっくりしました。私の家に3日泊まって3日連続でねぶたをハネました。非常にタフでした。
 この3日間は貴重な経験で、国際結婚とは難しいだろうなと思いました。3食続けて3日連続、脂っこい肉を食べたような気分になりました。また、自分が英語ばかり話そうとしているので、大変疲れました。相手があまり日本語がわからないので、どうしてもそうなるのですが、自分も英語を使いたがるのです。考えないとしゃべれないので2時間もそうしていると目が引っこんで来る思いです。そして、それはどうしてなのかということを、とても良く質問して来るのです。日本の文化とか、「どうして日本人はタバコを道路に捨てるのですか?」など。そうなると、日本人の文化をバカにされているような気がして、日本代表として頑張らねばという気になる訳ですが、それを英語で答えるというのは日本語でも難しいのに、大変な苦労です。
 学生のときにこんな経験をして、どうして自分はこんなに英語をしゃべりたがったり、外人とつき合いたがるのだろうかと考えました。昔から外国人にあこがれたり英語が好きだったりしたのは、コンプレックスみたいなもので、外国人と同じように話したり、付き合っていると、自分も同じように囲りから見てもらえると思うからという風に思いました。つまり外国人を自分達日本人より高い位置に置いているわけですね。その外国人と対等につき合えれば自分もその位置に行ける、というふうに。
 今考えると「そんなことどんでもいっきゃ」と思いますが、当時は20何年も前ですので、日本の国力というか国際的な位置も今と違ってまして「ジャパン アズ ナンバーワン」もまだ出ていませんでした。また学生というヒマな人間で純真でもありましたから、真剣に考えて、商学部の学生でしたが比較文化を勉強したくて、原稿用紙に論文みたいに書いて遠藤周作の家にまで持って行ったりしました。会えませんでしたが、秘書みたいなおばさんに渡して来ました。
 こういう白人に対するあこがれと裏がえしのコンプレックスは、私だけでなく割と今までの日本人の中に多くあるのではないかと思っていますが、これからの若い世代は堂々と普通に外国人と接することができる人が多くなっていって欲しいと思います。
 社会に出てからはあまり外国人と接触する機会がなくなりまして、英語も忘れてきました。ときどき本町で夜の国際交流をする程度であります。



12月2日出席率:27名中12名 44.44% 11月18日確定率:27名中19名 70.37%