≪外部卓話≫ 米山奨学生 劉 磊さん テーマ「僕の弘前での留学生活」
2000年6月、日本に参りました、それから 7 年ほど留学生活を送りました。この 7 年間、楽しいさ、苦しさが味わった日々、今年3月の卒業式次第にすべて終わることになります。懐かしいなど言い切れない気持ちが溢れてきます。
僕は1980年3月中国東北のチチハルという町で生まれました。冬は−30℃ 、夏は30℃ 、温度差は 60℃ 近くチチハルで小学校から高校まで育てられました。 1999年の9月チチハルに医学院という大学に入学し、医学の勉強を始まりました。しかも、親はこの大学の強みである産婦人科専攻への勉強を期待されていました。自分はこの専攻が好きではなく、将来に男らしいなパソコン関する仕事を従事したかったのです。ちょうどそのとき日本に留学している姉の連絡が来ました。日本でパソコンを学ぼうという気持ちで、 2000年6月チチハル医学院を退学し、来日しました。
2000年6月4日飛行機から降りて、日本土地を始めて踏みました。僕の人生は今から変えると感じました。あの時、 50音図をまだ全部読めない私は初めって異国への興奮が去った後、現実を慎で考え始まりました。日本人との交流はまったくできないので、対外交流はすべて姉に任さなければならないです。6ヶ月後大学受験ため、日本語一級試験と統一試験を受けなければならないです。さら 2ヵ月後、本番の大学入試は目の前です。退路もない私は勉強しかできなかったです。朝から晩までの勉強、眠り対策としては、一日コーヒー7,8缶を飲んでいました。あの時あまり効果なかったコーヒーが、今の私に対して、まるで悪夢のような存在です。副作用として、今の私はコーヒーのメーカ無論、一口を飲んだら少なくとも3,4日眠れなくなります。
大学入学確保のため、弘前大学と鹿児島大学の入学試験を受けました。最初に鹿児島大学の入学通知が来ました。その後弘前大学の入学試験を参加しました。無事に二つ大学とも合格しました。最後に弘前大学に残ることに決定しました。入学前の忙しい日々から、快適な大学生活に変えました。そのとき姉も東京へ就職しました。自立な生活が始まりました。勉強の余裕時アルバイトもしていました。入学前と比べるとのんびりと言い過ぎないのでしょうか。自分は来日したところの苦しさを味わったのですが、大学に在学の私は自分と同様に来日したばかりの人に関心を持つようになりました。そして、2004年に弘前大学中国人留学生学友会の副会長に選ばれました。留学生たちの精神的、生活的面に世話する仕事を楽しんでしています。遂に、 2005年学友会の会長を担当しました。同年、大学生活が終えて、大学院に進学しました。同じ時期、ロータリー米山奨学生として、ロータリーの一員になることができました。お蔭様で、生活費に精力しなくても大学院の勉強に専念できるようになりました。 2006年5月就職活動に通して、順調的に日本企業の内定をもらいました。今年3月まで大学院を卒業すれば、いよいよ新たな生活が始まります。将来はどうなるか分からないのですが、難関、苦しみは必ずあると信じますので、勇気を出して直面すれば、難関済んだら、幸福がきっと来ます。
以前の苦しみ、楽しみをこころ中に残り、時々味わいながら、将来へ向いて楽観な生活態度で生きていきましょう。
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